渋谷、新宿、池袋……そして原宿へ
幼少時代の愛読誌が『月刊コロコロコミック』でなく『BOON』(90年代に60万部発刊されていたストリート系ファッション誌)だったと語るオシャレボーイが初めて原宿を訪れたのは、小学6年生のとき。
「その頃スニーカーを集めていたんですよね。激レアなエアジョーダンがあるという噂の『TOMAHAWK CHOP』(『BOON』読者なら懐かしく感じる人も多いはず!)というバッシュ屋を目指して、地元・埼玉の友達と向かいました。他では手に入らない商品がズラリと並んでいて大興奮して、小学生にとってはかなり高額なバッシュを買って帰った思い出があります」
人が履いているエアマックスを奪い取る「エアマックス狩り」が社会問題となるほどのスニーカーブーム絶頂期。異常なプレミアム価格がつき、数十万円で取引されるアイテムも存在した。そんな大きな力を持つ流行の発信地に10代前半から吸い込まれた奈良氏ではあったが、後に原宿で若者たちから圧倒的な支持を獲得する彼のファッションは、決してこの街だけで磨かれたわけではなかった。都内の高校に通い始めると、原宿に限らず、渋谷・新宿・池袋と様々な地で遊びはじめたカリスマの卵。今では想像できないが、なんと、真っ黒なギャル男時代もあったという。
「当時の東京はギャル・ギャル男全盛期でしたから。僕、流行ったファッションは必ず取り入れていたんですよ。だからギャル男以外にも、スケーター系、サーフ系、Bボーイ系、フェミ男……と一通り経験しています。校則は厳しかったですが、もちろん守れるわけもなく、不良扱いされていましたね(笑)。実際に渋谷や池袋にチーマーの仲間たちがいて、結構悪かったんですけど」
"原宿系"からは程遠かった自身の"ギャル男時代"について語る奈良氏
だが、そんなヤンチャボーイは華奢な体型にコンプレックスがあった。そこで目を付けたのが、原宿にひしめいていた”古着屋”。レディースアイテムを含め、自分の体型に似合うサイズの服が多く存在することが足を踏みれたきっかけではあったが、古着は彼の体型以上に、彼の才能にジャストフィット。
「古着屋には様々なジャンルのアイテムが集まっていて、自分がこれまで通ってきたスケーターファッションやフェミ男ファッションなどをMIXしてコーディネートすることができました。原宿という街にはストリート系のファッション文化とは別に、オリジナルスタイルを認めるファッション文化もありますよね。そのおかげで挑戦できたと思います」
こうして奈良氏のセンスは爆発。ファッション誌のSNAP隊が見張る"GAP前"(現『東急プラザ表参道原宿』の前)を歩くと、その誰にも真似できないコーディネートはすぐに編集者の目にとまる。高校三年生時に『smart』で取り上げられ、その後『CHOKi CHOKi』の初代”おしゃれキング”(看板モデル)となる。