青参道に眠る物語
江戸時代までさかのぼって資料をあたると、江戸城から距離のあるこの辺りは町家を中心として周辺に大名の別荘が点在する庶民の町だったようだ。
安政4年(1857年)の青山周辺の地図。中央に位置するのは今なお現存する善光寺。位置関係から善光寺の左側の道が現在の表参道だとすると、そのさらに左側の町家が密集しているエリアに"青参道"は生まれたと考えられる 出典:東京さまよい記
街の性格が変わるきっかけとなったのは、明治後期に現在の青山通りに敷かれた路面電車。次第に通り沿いには商店が建ち始め、現在に通底する商業性が見られるようになったという。その後、地下鉄銀座線が開通し、いよいよ活性化が進みつつあった昭和20年、空襲により、あたり一帯は焼け野原となったのだ。
復興に向けて歩み始めた街に診療所が建てられたのは、とりわけ住宅が集まっていた庶民の道、今日“青参道”として親しまれる通り沿いだったそうだ。人々は癒しとつながりを求めてこの場所に集まり、互いに手を取って気持ち新たに街をつくり上げていったのかもしれない。
それから70年の時を経た現在、のちに北青山病院として知られた診療所の跡地には、ブライダルショップが建っている。白い看護服のナースが働いていた場所で、晴れの日を控えた花嫁が純白のウェディングドレスに身を包むというのは、ちょっぴり運命的なものを感じなくもない。ちなみに病院の向かいにあったという調剤薬局は、人々の胃袋をつかむ洒落たハンバーガーショップ「FELLOWS」に生まれ変わっている。あまり知られていないが、その隣のコンビニエンスストアが建つあたりには、岡本太郎の父、岡本一平の住居兼アトリエがあったというのだから驚きだ。
かつて北青山病院があったエリア。その向かいには調剤薬局、隣のアパートが建つあたりには岡本一平のアトリエがあったそう 出典:港区産業観光ネットワーク
かつての調剤薬局は現在、行列をつくるFELLOWSになっている
古くから芸術に縁のあった路地裏にアーティスティックな店舗がオープンしていく発端となったのは、裏通りの曲がり角に建つ民家を改修した、一軒のインテリアショップ。表参道側入口の目印でもある、白いハシゴが屋根に掛けられた「H.P.DECO」だ。
曲がり角に建つ「H.P.DECO」。屋根に掛けられたハシゴが可愛いらしい
まるでオセロの隅を取ったかのように、通り沿いの民家はアッシュ・ペー・フランスの運営店舗をはじめとした個性豊かな店舗に生まれ変わっていく。徐々に通りが賑わい始めた2007年、同社の代表が期せずして地方の商店街で目にしたのは、地元の商人と観光客が一緒になってお祭りを盛り上げている姿だったという。
「あの路地裏もこんな風にみんなで盛り上げていくことはできないだろうか」
自社の店舗だけでなく、通りに並ぶ全ての店舗で一緒に路地裏を活気づけたい。そんな想いを原動力に、名もない裏通りは“青参道”と名付けられ、同時に店舗間の垣根を超えて様々なイベントを企画・実行する「青参道プロジェクト」が立ち上げられたのだった。