ラフォーレ原宿、DCブーム、YMO
1978年は、日本のファッション史の一つの幕開けだったと思う。ラフォーレ原宿がオープンしたのが78年の10月。76年に創刊された雑誌『POPEYE』とBEAMSが西海岸スタイルを提案していた一方、アメリカ文化崇拝という風潮に対抗するように、ぴかぴかな存在だったラフォーレ原宿を中心にデザイナー・キャラクター(DC)ブームが始まったのだ。
38年前に開業し、オモハラを"ファッションの街"であることを世に知らしめたラフォーレ原宿
当時、ラフォーレ原宿をシンボルとする原宿界隈には、「ブランドを立ち上げて一発当ててやる」というファッション好きが大勢いた。ラフォーレ原宿の地下の小さなブティックがデザインで一発当てて上の階の広いスペースに移転したり、装苑賞という学生の登竜門的ファッションコンテストの大賞を獲ってパリに渡り日本に凱旋して華々しくデビューしたり、創刊されたファッション誌が季刊(年4回)から隔月刊、月刊になったりと、「ファッションに夢」があった時代である。ギャルソンやワイズ、メンズビギなどを第一世代に、日本独自に進化したブランドビジネスにより、たどたどしくもおしゃれを楽しむ若者が増えた80年代前後。原宿には、幼稚だったが確かなパワーがみなぎっていた。
「コム・デ・ギャルソン」青山店。1973年にブランドが誕生し、80年代のDCブランドブームを牽引した
また、80年前後の音楽や雑誌に、大量のフォロワーを生み出すパワーもあったことも記述しておこう。ラフォーレ原宿と同じく78年、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)がレコードデビュー。YMO時代の“教授”といえばテクノカット(もみあげを剃り整え、襟足を刈り上げたヘアスタイル)が有名だが、当時のファッショントレンドをリードしていた雑誌『anan』が、女性の刈り上げヘアを提案。表参道・原宿で働くファッション販売員はこぞってその真似をして、のちに「ハウスマヌカン」という流行語も生み出したのだ。
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